寺嫁主婦のよもやまブログ

元司法試験受験生だったアラサー主婦がよもやま話をするブログ

後悔と独白~司法試験受験について

※今日は鬱ブログです。苦手な方はUターンをお願いします。

 

 

 

未だに、夢を見るときがある。

 

司法試験受験の為の環境が整って

「よし!勉強を再開するぞ!!」

と、息巻いた時に目が覚める

 

というパターンの夢だ。

 

目が覚めた時、

もう私は受験しないんだ

もう違う環境に身を置いているのだ

という現実を思い出して、少ししゅんとなる。

 

私は今、後悔している。

勉強から逃げた自分を。

今こんなに後悔するくらいなら

なぜ頑張れる時に頑張らなかったのか、と。

 

だけど同時に思うこともある。

確かに、私は勉強することから逃げていたけれど

それでも当時は必死だった、と。

 

 

私はロースクールに入るまでに予備校に通っていた。

当時必須だった適正試験の対策がわからなかったので、予備校の講座を受講した。

しかし、駆け出しの制度だったせいか、予備校も手探り状態で

受け身の受講しかしなかった私の成績は振るわなかった。

私は思った。

講座をとるとらないではなく

自分で勉強方法を見つけなければならないのだ、と。

 

 

そして、もう予備校には通わないと決めて入ったロースクールで

私はいきなり迷子になった。

私の入学したロースクールでは、基本書主義が採用されていて

とにかく基本書を読むことが推奨されていた。

私は、基本書を読んだ。

…途中までは。

 

基本書を読んでも、全くといっていいほど手応えがなかった。

内容が頭に入っているのかどうかすらよくわからない。

ただ、文字を追うだけの時間が1時間、2時間と過ぎていった。

こんな時間の使い方で大丈夫なのか?と不安になって焦り始めた。

 

そして、不安になると決まって合格体験記を読んだ。

自分のやり方が正しいのか、確かめたかった。

そこには様々な合格方法が記載されていた。

基本書主義の人もいれば、ノートを作った人もいて、最初から予備校に頼っていた人もいた。

結果、私はますます混乱した。

 

私のやり方に口出しする人もいた。

1人自習室で基本書を読んでいる私を見つけて「これも読んだほうがいいよ」と、声をかけてくれた先輩がいた。

アカデミックアドバイザーの先生がやってくれた過去問ゼミに参加すると

「俺らにはまだ早い、無駄なゼミだ」

と、難癖をつける友達もいた。

 

私が一番不安を煽られた言葉が

「自分にあう、あわないを見極めて取り組めば、どんな方法でも必ず受かる。」

それがわからないから苦しいのだ。

 

 

結局のところ、私はついに最後まで、自分のやり方に自信を持つことができなかった。

基本書を読んでいる時も、ノートをつくっている時も、過去問を解いている時も

いつも

「それで本当に合格できるの?」

という、脅しめいた言葉が頭の片隅にこびりついて離れない。

ロースクールの自習室で、自宅の机で、

常にこの言葉が私の後ろでささやいてきた。

 

そして、逃げた。

もう勉強なんかしたくないと思った。

ネットサーフィン、YouTube、ゲーム

そんなことに費やす時間のほうが増えていった。

私は、ロースクール生というモラトリアムを謳歌してしまったのだった。

 

 

そして今、その事を後悔している。

確かに私は苦しかった。泣きたいくらい苦しかった。

どうしたらいいのかわからない辛さが、当時の私を支配していた。

 

 

 

それでも。

今にして振り返れば、解決策なんていくらでもあった。

 

基本書主義で勉強すると決めたのなら、最低3回は読まなければならないと言われていたのだから、とにかく一回は通読するべきだった。

一回目は概要をつかむだけでいいと言われていたのだから、よくわからないところは飛ばして読む勇気が必要だった。

変な完璧主義にとらわれて「わからないところを潰す」という読み方をしなければ、あんなに時間がかかることもきっとなかったはずだ。

「とりあえず一回は通読する」という忍耐が、私にはなかったのだ。

 

やり方に迷走したなら、合格体験記を読むのを止めれば良かった。

周りの声を、自分が「うるさい」と感じたなら、その時点で聞かなければいいだけの話だ。

 

そして

「本当に合格できるのか」

不安に感じたなら、今読んでる基本書と過去問の該当箇所とを突き合わせて読んでも良かったのだ。

現にこのやり方に切り替えた途端に、短答試験は通った。

これが自分にあったやり方か!

と、気がついた時には、時既に遅しだった。

 

私は思う。

なぜあの時、もう少しあがこうとしなかったのか。

苦しかったのはよくわかっている。

でも、あの時しかあがく時間はなかったのだ。

 

それに気づけなかったことが、本当に悔しい。

今さら、夢に見るくらい「勉強したい」と思うなら

なぜあの時にしておかなかったのか。

 

 

やった後悔よりもやらなかった後悔のほうがずっと辛い

とはよく言うけれど

本当にその通りだと思った。

私はきっと、この後悔を一生引きずって生きていくのだろう。