寺嫁主婦のよもやまブログ

元司法試験受験生だったアラサー主婦がよもやま話をするブログ

遺言書やエンディングノートは元気なうちに…

先日、こちらでとても親しくして頂いた方が亡くなられました。

 

 

享年57歳。

若すぎます。

 

 

とても親しくして頂いていた方だったので、身籠の身ではありましたが、お通夜、お葬式とに参列させて頂きました。

 

 

その際に聞いた話なのですが

病気を患ったとき、本人もまさかこんなことになるとは思っていなかった様で

基本、入院のことを誰にも知らせず

お見舞いだとか、面会だとかはほとんど拒否していたそうです。

 

私も、体調を崩されているという話しか聞いておらず

病状や、今どんな具合なのかといったお話はほとんど聞けず仕舞いでした。

 

 

しかし

正直に言うと、思っていたことがあります。

それは遺言書やエンディングノートの準備のことです。

 

 

理想を言えば

突然の急逝の場合ほど、遺言書やエンディングノートの必要性は高まります。

残された遺族はタダでさえお葬式や死亡手続きなどの庶務でバタバタします。

そしてそれが一段落した後に待っているのが、遺産分割や形見分けなどの財産整理です。

そこに遺言書やエンディングノートなどで当人の意思が残されていると、遺族の負担はかなり軽減されますし

あるいは、後々に揉める火種をあらかじめ防ぐこともできるのです。

 

 

しかし

お葬式の際の話を聞いておりますと、とても当時の本人にそんな話はできなかっただろうな、と思うのです。

 

私もよく存じておりますが、基本この方はバイタリティに溢れた活動的な方でした。

だから、病気になっても「絶対に治すんだ!」という気持ちで望んでいたそうです。

 

しかしなかなか病状がよくならず、

亡くなる1ヶ月前頃から、親しい知人を呼んでお話をする様になっていったそうです。

 

 

そんな人に、遺言書を書けだとか、エンディングノートを書いてだとか言えますでしょうか??

病気を治す気持ちをもって治療に当たっている当人に

あるいは、もう闘病生活に疲れ、知人に囲まれて楽しく過ごしている当人に

 

自分が死んだ時の為に書類を残せ、と

言えますでしょうか?

 

 

だからこそ、思うのです。

遺言書やエンディングノートは、その時までギリギリ待って書くのではなく 

死なんか遠い先の未来にある、元気なうちに書いておくべきだ、と。

 

いざその時が来たら、きっと遺言書どころではなくなってしまうから…

 

 

ある人が言ってました。

遺言書やエンディングノートは、遺書とは違う、と。

遺書は死にたい人、これから死ぬという人が書くもので

遺言書やエンディングノートは、これからも生きていく人が書くものだ、と。

 

 

本当はこんな話を、行政書士になってからいっぱいしていきたいのです。

というか、そういう活動をする行政書士になりたいと思っております。

 

ちょっとフライング気味に記事にしてしまいましたが

今回の出来事で、私が思ったことなので

せっかくだからと思い、書かせて頂きました。

 

 

…うん

勉強せねば!