皆さまこんにちは!
寺嫁主婦のごまと申します。
先日ウチの地域の宗務所が主催した「寺族研修会」なるものに参加してきました。
どんなお話になるのやら…とドキドキして行ったのですが
なんてことはない、とても朗らかな講師のお坊さんのお話のもと、お寺での作法の由来や言葉の意味などをとても優しく教えて頂きました。
(あえて言えば、会場となったホテルの受付でお坊さんに囲まれてドギマギしたくらいです。お洒落なホテルのロビーに袈裟を着たお坊さんの絵は非常にシュール…)
その話を細かくブログ記事にしても、それはそれで面白そうではありますが
今日は概要だけ、おおざっぱに言えばこんな話だったよ、という内容を書いていきたいなと思います。
お寺での作法のほとんどはテキトーで問題ない
いきなり釣りみたいなタイトルになってしまいましたが、先生のお話を要約するとだいたいこんな感じになりました(エッ
講演ではそれぞれの宗派による様々な作法の違いを教えて頂いたのですが、その理由やルーツはほとんどが分からないものばかりなのだそうです。
また日本の仏教は江戸時代まで神仏混同でして、なんとなく似たようなものを拝んでいたそうです。明治時代になって新政府が2つを分けるように指示し、「じゃあウチはお寺かな?」「ウチは神社ってことで」みたいな感じで、ゆるく別れていったのだそう。
なので作法やらしきたりというのは、少なくとも由来という意味では、何か重々しい理由あっての決まりごと、という訳ではないということなのだそうです。
じゃあ何でもテキトーでいいのか!?
と言われると、私はそういうことではなくて
「仏様の前ではちゃんとやろう」とか「大好きだった故人への想いを形にして示したい」
という想いが、1つひとつの所作を形作っていくのかなぁ、と思いました。
例えば、「お焼香は1回なの?3回なの?」問題。
故人を想い真心込めて1回か、しっかりと煙を上げることを目的に3回なのか
(仏教で煙は仏様に通ずるものと考えられています)
間をとって2回とする宗派もあります。
どれも、その人なりのお考えで故人さまと向き合ってのことならば、好きな回数で良いというのが、今日の先生のお考えでした。
なるほどな、という感想でした。
その他にも様々なものについて由来や宗派ごとの違いなどを教えて頂きましたが、そのほとんどが最終的に同じような結論に至っていた様に思います。
決まりごとを適宜修正していくのも僧侶の役目
とはいえ、一応の決まりや枠といったものも現に存在している訳です。
それら決まりごとを守ることで何ら不都合がない状態であれば、守っていくほうが無難でしょう。
しかしそれをたまには破る必要が出てくる場合もあるかもしれません。
そんな場合に、背中を押す役割を果たせるのは、僧侶であったり寺族である皆さんなのですよ。
と先生は仰いました。
最初、私は「どういうこと?」と話の流れを掴みきれずにいました。
先生は続けて、次の体験談を語ってくれました。
先生の所のお檀家さんで、突然60歳前後で故人となられた方がいらっしゃいました。
お経を上げに自宅へ伺うと、リビングには所狭しと地元のお祭りで使う為の華やかな道具が並んでいたのだそうです。
遺族である奥様と息子さんに話を聞くと
「旦那はお祭りが大好きで、地元の◯◯祭りには必ず中心となって運営していた。この道具たちも、元々倉庫に置いていたものを『倉庫では保管状況が良くないから』と言って、リビングを改装してまでここに置ける様にしたのだ」
「これは親父が特注で作らせた法被です。豪華ですよね。すごい高かったんですよ」
実際に聞いた金額も相当なものだったらしいです。
さて、日本には家族が亡くなると「喪に服する」という考えがあります。
これは本来、ご家族を亡くされたご遺族がお弔いに集中できる様、周りの人間が華やかで盛り上がることに遺族を付き合わせないというものでしたが
今では逆に、遺族のほうが「華やかな場に出るのを控えなければならない」という様に理解されています。
そして、先の故人さまが楽しみにされていたお祭りの日が近づいてきたある日。
息子さんがお寺にいらっしゃったそうです。
息子さんは
「今年の祭りへの参加は、親戚に反対されてしまったのですが、お尚さんはどう思われますか…」
と相談されました。
親戚が反対した理由は当然、「今年は喪に服するべき」というものでした。
しかし息子さんの顔にははっきりと「祭りに出たい」と書いてあったそうです。
先生は息子さんに
「君は出たいんじゃないの?」
と聞くと、はっきりと
「はい、親父の法被を着て祭りに出たいんです」
と答えたそうです。
そして先生はこう言ったそうです
「私も、お父様はきっとそう望んでいると思いますよ。行ってらっしゃいな。親戚の皆さんには、寺の坊主が行っていいと言ったと仰いなさい」
そして息子さんはお祭りに出向きました。亡くなったお父さんの法被を着た息子を見た祭り仲間たちは、みんな号泣したそうです。
「今年は弔いの祭りだぁー!」と、それはそれは盛大に盛り上がったそうですよ、と朗らかに笑いながら先生はお話してくださいました。
(私は会場でボロボロ泣きそうになりました)
先生はこう続けました。
「決まりに拘るのなら、ご親戚の方が仰ることが正しいと私も思います。しかし本当にそれでいいのか?しきたりという枠にどうしても収まらない様な場合に、その殻を破る勇気づけを与えられるのも、私たち僧侶であり、皆さま寺族の方々なのだと思います。」
その様なことを仰っていたと思います(←とにかく泣くのをこらえるのに必死だった)
まとめ
今回の寺族研修会について、感想を一言。
行けて良かった!!!
やっぱりお坊さんって、こんな泣ける話の1つ2つ、有るものなんですね…
ウチの旦那もそんな立派な話のできる僧侶になってくれることを期待したいと思います。
それから、今回の研修会で得た知識はこのブログでチビチビ書いていこうと思いますので、そちらも楽しみにしてお待ちいただけると嬉しいです。
それでは!
最後までお付き合いくださりありがとうございました。