NHK受信料19億円支払いが確定=東横イン側の上告退ける-最高裁:時事ドットコム
今日はこちら。
まず目を引かれたのは19億円という巨額について…
すごい額だな、と思いつつ
他のホテルはどうなってんだ??
とも思ったり。
この記事に合わせて考えるならば、大型宿泊施設における受信料徴収のあり方だとか、受信料二重取りの可能性の有無だとかいう内容のほうが適切なのですが
まぁとりあえず、今日の記事ではその前提となっている「受信料の強制支払いの妥当性」についてフォーカスしていきたいと思います。
少し長くなってしまったので、目次をつけます。
NHK受信料のカラクリ
そもそもNHKの受信料はどのような形で求められているのでしょうか?
ざっと説明すると
放送法という法律で、テレビなどの受信設備を設置した者は、NHKとの受信契約を結ばなければならず
この契約により、受信料の支払義務が発生する、という仕組みです。
世間一般では、これがもっと簡略化されて
「テレビを買ったらNHKに受信料を払わなければならない」
という認識で広まっているものと思われます。
なぜ受信料という形で徴収するのか?
テレビを買っただけで、NHKと受信料を払う契約を結ばなければならないなんておかしくない!?
という批判は、よく耳にする話ですよね。
(加えて私は法律畑の人間だったので「契約しなければならない」という放送法64条の表現に鳥肌を立てたのを覚えています。
…いやいや契約って「契約自由の原則」でしょ?どんな契約を誰と結ぶかは自由なはずじゃないの?
実は放送法64条の規定は、法律学的に見ても
民法で大原則とされている「契約自由の原則」を正面から修正する内容になっているのです。)
何故こんな規定が認められているのか。
それは一言でいうと、NHKが「公共放送事業者」として「公共の福祉の為に放送を行う」ことが目的とされている特殊法人だからです。
放送法では放送事業者を「公共放送事業者」と「一般放送事業者」の二種類に区分して
公共放送事業者には営利目的の広告を放送することはおろか、営利目的に業務を行うこと(要は営利活動)そのものが禁止されています。
営利活動ができないのならば、NHKが活動する財源はどうするのか、という問題が出てきます。
その答えが「強制された受信契約に基づく受信料」ということです。
NHKの存在意義
実はこの受信料を巡って
契約自由の原則に対する不当な侵害であり違憲だ
と主張する訴えが起こり、最高裁まで争われた事件があります。
結果的に違憲主張は認められず、放送法64条による修正は「必要かつ合理的な範囲」内だとされました。
そしてその理由なのですが、最高裁はそれをNHKの存在理由に求めました。
つまりNHKには「公共放送事業者」として、企業や国などの影響を受けずに「公共の福祉」にかなう放送事業を行う義務がある訳でして
その為には営利活動によらずに運営資金を得る方法が必要であり
かつその方法が受信契約により発生する受信料によって賄おうとすることは
「(NHKが)受信設備設置者の理解を得て、その負担により支えられて存立することが期待される事業体であることに沿う」ものである
と述べたのです。
NHKは公共放送であり、それを支えるのは受信設備設置者
ということですね。
民意との距離感
さて、これは果たして民意と合致する内容だといえるのでしょうか??
この判決通りならば、私たちはテレビを買って設置した段階で、公共放送としてのNHKの存続に理解を示して負担を被ることを了承したことになります。
テレビを買って取り付ける
たったこれだけのことに、日本では、そんな重々しい内容が含まれていることになるのです。
私はこれは国民の意識とはだいぶかけ離れた判決だと思います。
でなければ、受信料未払い問題や「NHKから国民を守る党」が選挙で当選する等ということは起きないと思うのです。
ではNHKは、本来どうあるべきなのでしょうか?
公共放送事業者の必要性
そもそも日本人は、公共放送の必要性をどこまで感じているのでしょうか。
私はこの記事を書く為に平成29年最高裁判決の全文に当たりました(その影響で本記事完成に恐ろしく時間がかかりました…)
読んでいて感じたのは、ことNHKについては、視聴者の意向という概念は度外視されている、ということです。
放送内容はもちろん、契約するか否かの選択肢も「テレビを買った以上、改めて契約をするか否かの判断は必要ない」というスタンスです。
これを私なりに解釈すると、NHKの放送は見てもらうことを前提としていない様に思えました。
NHKの役割とは、ただひたすら、公共の福祉の為になる放送を、ただただひたすら流し続けること。
視聴者とか視聴率とかは関係ない。
何故ならNHKは公共放送事業者だから。
放送による自由な表現活動を行い、放送文化の醸成や発展に尽くすことは、一般放送事業者がやるべきことだ、と。
テレビを見られて楽しんで、それで盛り上がるのは民放の役割なのだ、と。
私には、そう言っている判決に読めました。
支払う側、受けとる側の考え方
受信料を支払う側は
見てもらうつもりがないなら、そんな放送局は要らない!
と言いきってしまいたくなると思います。
が、公共放送の存在意義を今一度見直して、受信料を払う必要性を考え直してみるのはどうでしょうか?
判決によれば、(視聴率的にはあまり面白くないであろう)日本固有の芸術や文化を取り上げて放送することで、伝統文化の維持、貢献に尽くすことができる、等の効用があるそうです。
その様な効果を認めてNHKの存在意義に納得できる様になれば、現実に見てはいないテレビ番組の放送に対して受信料を払うことにも、抵抗を感じなくなるのではないでしょうか。
またNHK側も、受信料をさも税金の様に徴収するのではなく、公共放送の意義と役割を伝え広げて、例え大衆からのニーズがない様な内容であっても、放送することに意義があるのだ、という点を強調して受信契約の必要性を訴えるべきだと思います。
公共放送をすることがNHKの役割である、と。
楽しませることが目的なのではない、ただただ、公的に意味のある放送を事実上垂れ流し状態にすることは、実はすごく重要なことなのだ、と。
この様な状況を事実として認め、受け入れることが受信料契約を今後も存続させていく上で重要になってくる視点ではないかと、私は思います。
まとめ
NHKの役割について、今一度考え直してみよう!
ただ受信料を払うだけではない、その役割や意義について、自分なりに納得できるものがあれば、受信料を強制的に感じることもなく支払うことができるようになると思います。
反対に、某政党が「NHKをぶっ壊す!」と国民に訴えたのも、なぜその様な主張を始めたのか、改めて考え直してもいいかもしれません。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
ではまた(^-^)/